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2011年4月5日(火)
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震災から2週間が経過し、立ち止まってはいられない時期になってきた。
・・・だからっていうわけじゃないんだけど
買いました・・・・。クルマ。

色々あって、今年中に家族2台買い替えの予定にはなってたんだけど
とりあえず、先にエコカーの方を新しくするはずだった。
ところが、決算ということもあり、エコじゃない方のディーラーが頑張っちゃったわけで。

試乗をしてから、やたらとエコじゃないディーラーがプッシュしてくるので
一応、ギリギリの借金コースで迎え撃つことにした。
グレード的にはすげえ低いやつなんだけど、貧乏なオレにしてみりゃカツカツのクルマ。

うだうだ交渉するのはキライなので、ハンコを持って

「諸経費とコーティング込みで○○○万円なら買う」と一言。
それまでニコニコと頑張ってたディーラー絶句。
そしてキッパリと「無理です」

別にいいやと思ってたので「じゃ、また今度ね」と行こうとすると
「とりあえず下取りの方の車の書類を整理してきます」と青ざめた顔で裏へ。
コッチは携帯でエコカーの方の試乗車落ちを検索して待つ。

と、そこへ何故かややキレ気味でさっきのディーラーが
「その値段なら今日(3月最終週)ハンコもらえますか?」
「え?さっき、そっちが無理って・・・ん、まあ、あの値段なら・・・買うよ」

「どうぞ」
おお、超強引な見積書。
ざっくり一行『値引き』で引いてある。もうちょっとスマートに削れよ。

てか、なんでちょっとキレられなきゃなんねーんだ?
オレが客だぞ。


まあ、利益ゼロでも台数(実績)だけでもキープしたいんだろう。
決算だし。台数の報奨金もあるんだろう。
震災の影響で、ただでさえ補助金の反動で落ちてた自動車販売業界は壊滅状態だからな。

そんな経緯で、かなりあせっていたディーラーの車を購入。
うう。借金生活がボーナス前に前倒しでスタートしてしまった。

しかも・・・、コーティング終って納車は4月の2週目。
・・・うぉい!!俺、そっから2週間、出張なんだけど!!
泣く泣く、納車の受け取りとナビ、リアカメラ、ETCの取り付け(これでまた出費)を親父に託し
俺は仕事にいくわけである・・・。

出張費用、節約しなくちゃなあ・・・。

2011年3月25日(金)
混乱はつづく・・・が

いまだに原発の不安が収まらず、復興の障害が残る中
それでも動いていく産業。

水が売り切れとか言われているが、落ち着いてみれば
自動販売機の500mlペットは都内でも普通に溢れている。
というか、都内に自販機が何台あると思ってんだ。
スーパー何件も回る前に、自宅の前の自販機で買った方が早い。

さて、東京のイベントが中止になった翌々日。
部長に呼ばれ、大阪のイベントの打ち合わせを行った。
そこでは、企業としてのあり方や、参加する人間への対応などが話し合われたほかに
準備の段取りについても話し合われたわけで。

それまで一貫していた俺と部長の意見が、準備の日程の部分で衝突。
他の人から見れば一触即発な雰囲気だったらしい。(まあ、当人同士は気にしてない)
相変わらず、どんな状況でも戦ってしまう自分・・・。大人になれんなあ。

内容としては
俺を来週から大阪に入れて、前乗りで準備を終わらせてしまいたい部長と

4月中の段取り全てをつけてから、通常通り現地入りしたい俺との綱引きであった。
そこには、実はワイドショー辺りで騒がれた、地震や原発、停電が引き起こした副産物的な
およそ、見当もつかなかったようなおかしな理由が絡んでいたのだが、
ちょっとここでは書けないのが残念。


結局、あいだを取る形で決着し、
準備は前倒しするものの、俺はギリギリまで東京で粘るという形になった。

3月中に終わらせなきゃいけない仕事が一気に出てきて、少し目まいがしたが
こんなことぐらいで弱音は吐けない。

そんな仕事とは別に、絶賛計画停電中の我が家の方でもクリアしなきゃいけない問題が。
「車の買い替え」である。
こんなことで 問題
 というと怒られそうだが、4月の税金が来る前にやっつけておきたいのだ。

補助金の対象になるほど古くはなかった我が家のエコカーも、そろそろ限界。
買い替えを検討する話は先月からしていた。
さらに、トラブルが重なり、1台だけだった買い替えが、我が家に2台ある車、
両方を買い替えなきゃいけない事態に発展。

・・・そんな金ねえのに。

日本中が大変な時期ではあるが、自分の身辺も慌しくなってきた。
今月、来月がヤマだ。なんとか乗り切ろう。

2011年3月17日(木)
つぶやく でも さえずる でも

そのねずみ算的なシステムと、失言者を祭り上げる風潮で,
やや敬遠していた
「Twitter」
仕方なく始めることにしました。まあ、面白い仕組みなのは判ってるんだけどね。
やるからには、誰か知り合いほしいんで、やってる人いたら教えてください。

各路線や計画停電の実情など、もはや最新のデータは
このツールに頼らざるをえない。
とりあえず、路線系の公式をフォロー。

会社は自宅待機のお達しが出たために、HDDをバックアップして持ち帰りました。
家にいても電話とPCがあれば、まあオレの仕事は不可能ではない。
効率悪いけど・・・。
申し訳ないと思いつつ、わずかな電力消費を許してほしい。

東京のイベントは中止(無期限延期)が決定。まあ妥当でしょう。
その代わりに大阪に前のり→数日間の滞在もありえる模様。
(別に原発は絡んでません。来月の話だし。

というか、マスコミはシーベルト君で散々煽っておきながら、急に落ち着けという矛盾。
まずもってチェルノブイリを引き合いに出すのは、根本的に話がおかしいのでやめてほしい。
現地の作業員のみなさん、本当に頑張ってください。
救援物資が届いていない報道も、ちょっとおかしい。
72時間生存率を優先している点を無視・・・。
まるで、誰かが悪いみたいな報道姿勢。
(事故発生から72時間は行方不明者の捜索が最優先されるルール)

『情報は、流されたものを受けるだけでなく、自分で選抜、真偽を判断すべし』
大学のマスメディア論を思い出す。都合の良い歪んだニュースって多いからねえ。

そうでもしないと某掲示板や、某さえずりや、某SNSや、某そう思う、が溢れる世の中で
真実が見えなくなっちゃう。
今回の震災は、全然落ち着いてはいないけれど、日本のマスメディアのボロも見せてくれた。
何度も言うけれど、困難の時こそ真価が問われる。
アフガンまでもが援助を申し出てくれる状況に感謝して、乗り切ろう、なう(誤用)

2011年3月14日(月)
停電したり、しなかったりの理由



PCを立ち上げて、ブログを書くのは心苦しいのだが
一つだけ書きたいことがあった。

まず、停電に関して
「どうして二転三転するのか」ということだ。
これは実は仕方ないのだが、問題となってしまったのは
東京電力がキチンと「電気の仕組み」を伝えていないせいだ。


電気というのは、「実は溜めることができない」
つまり、今使っている電気は、今、発電機で作っているのだ。

『え、充電電地は?』と、思われ方がいるかもしれないが
家庭用電気と充電電池の容量とはワケが違う。
例えば、今回のような都市部で4000万kwが必要な場合、
1時間1kwを補える車のバッテリーのようなものが4000万個あって
初めて1時間供給が途絶えても賄えるという理屈になる。

では、停電していない間は節電なんていらないんじゃ・・・?
違う。
東京電力の電気が余れば、東北電力に繋げられるのだ。

被災地に電力が届けられる。
残念ながら関西と関東では電気周波数が違うので、これができない。
これは仕事柄知ってたのだが、一般の家電製品はこの程度の差なら
どちらでも使用可能に作ってある。
ただ、精密機械だったりすると、関西用と関東用で別々に存在するのだ。
イベントとかでは切り替えスイッチ付きの電源タップで対応している。

送電に関しては、この差はハッキリって問題があり、関西の電力は変換機を通す必要がある
昨日のニュースだと国内の変換機の容量で常時100万kw程度が限界らしい。

歴史上、異なった周波数で発達してしまった為、今さら合わせると投資にメリットが見合わない
そんな理由で見送られていた。今となっては、これに対する批判は後の祭りである。

これらの理由を踏まえて東京電力が
「電気は溜められないので、使用がピークになる時間は、場所ごとに切る。
切られなければ、節電が上手くいっていると思ってほしい。」
と事前に言えば良いのに・・・。

原発の件もあって、対応に追われているのは分かる。
だが、困難時こそ真価が問われると思う。批判はしない。頑張ろう。

ちなみに、第2Gは朝の停電は回避されたが、夜は無理っぽい。
前回の帰宅困難時の反省を踏まえ、今日は早々に自宅待機にした。
吉祥寺のニュースを見ると正解だったようだ。

携帯に連絡が来るのは関西の営業所ばかり・・・。あちらは混乱をしていないようだ。

昼間、市内を歩いてみたが、店舗の多くは閉店。
電気は消っており、水と電池が完売。
弁当やカップめんが売れているようだ。
ガソリンスタンドには長い列。うーん。プチパニックというところか。
冷静に見ると、滑稽ではある。
海外の人が成田行きのバスに長い列をなしている。
まあ、仕方ない。帰る場所があるのなら帰るべきだ。

電気を溜めることが出来ない以上、節電体制は今後も続く。
回復が見込めるのは、別の電源供給先(発電装置)を見つけた時だけだ。
我が家は幸運にも、『年末エネループ化』を施した後だったので
エネループが20本ほど出てきた。

意外なところでエコが役に立ったワケだが
問題は、懐中電灯があんまり無い・・・ということである。まいったね。まあ、いいか。

あ、ちなみにアマゾンでエネループはまだ普通に買えます。
ただ、納期は関西経由じゃないとツライかな。
停電期間が過ぎてもエネループは便利なので買っといて損はないかと。

2011年3月14日(月)
輪番停電

ようやく発表された。
もう少し早く発表してほしかったが。

我が家は第2グループにあたり
9:20〜13:00と18:20〜22:00の2回に渡って停電となる。
これで重要区域に電気が供給されるのならば、別になんてことはない。

実は、オークションで知り合った仙台の方と連絡を取り合っている。
不思議な縁だ。本当に無事でよかった。
津波の被害で大変な目にあった場所は悲惨なようだが、
今は比較的恵まれた状況下にいると言っていた。
本当に頑張ってほしい。

有志の節電啓発ポスター作成に参加してみた。
ノートPCでチャチャッと作成したのであまり電気は使用していません(笑)
ちなみにデスクトップとノートを併用している人がいたら、是非ノートPCを使うようにしてほしい。
イベントの仕事で毎回、電気容量を計算するが、
デスクトップPC1台でノートPC5台分くらいまかなえる電力差がある。

家電で最も電気を消費するのがエアコン。これは切ってほしい。
最近のTVは消費電力が少ない。情報収集には不可欠だが、不要であればこれも切ってほしい。
iPodアプリのradikoがあれば情報は手に入る。

明日の様子だが、朝は普通に出社できそうだ。
仕事で印刷会社にまわす予定の印刷物は関西に振るか、取りやめるか・・・。
その他、もろもろ、オレの仕事は全てイベント絡みなので開催か中止か、その辺りの情報も必要。
出社しないって選択肢はなさそうだなあ。
すこし先の話だが「夢メッセみやぎ」はダメかもしれない・・・。モロに水を受けていた。

とりあえずMacBookAirと、エネループと・・・ああそうだホワイトデーのお返しも持っていかなくちゃ。
懐中電灯も持っていかねえと帰ってこれないかな?
ヘタに早めに帰っても停電中なんで、時間を遅らせて帰ろうか・・・。

とりあえず、明日の準備をしたら、このPCも落として寝るようにします。

2011年3月12日(土)
2011年3月11日に起きたこと

うちの会社は、ほぼ新宿という位置にある。
1Fから6Fまでフロアがある自社ビルだ。
そして、その日に何があったのかを記したいと思う。

昼休みは、何の因果か仙台在住の方にヤフオクで落札してもらった商品を送っていた。
3時すぎ。
4Fにあるうちの部署で、女性社員が「あ、揺れてる」と呟いた。
オレもそれを感じ、「長いな・・・」と呟いた所、予想を超える揺れがきた。
向かいに見えたラックが歪み、先輩に「サーバー機!ラックから落ちそう!」
咄嗟に先輩がラックを抑え、俺も逆のラックに手をかける。
その直後、さらに大きな揺れが襲った。もはや誰も言葉が出ない。絶句である。
業務用のレーザープリンターの前面扉が開き、社員のロッカーが開き、荷物が飛び出す。
机にあったマグカップからお茶が飛び散る。
収まった瞬間。誰もが言った。「これ、ヤバイ。またくるかも。」
オートロックの扉を全て開き、閉じ込められるのを防ぎ、非常階段で外へ出る。

ひらけた駐車場に出ると、周囲のビルでも避難が開始されている模様。
正面の道路では、車が全て停止している。
工事中の高層ビルのクレーンはまだ揺れていた。

みんな、携帯で状況をチェックする。
携帯の電波は生きているようだ。少しホッとした。
その時点で分かった情報は、震源は宮城。震度7を記録。
それだけだった。

震度7は驚いた。驚いただけ。
本当に、この時はそんな感想だけだった。

車が動き出し、白バイがサイレンを鳴らして被害状況の確認に走り始めた。
コンビニは、普通に営業を続けている。

誰もが家族に確認を取る。関東の近辺は無事のようだった。
しかし、茨城が応答しない。携帯が混戦しているせいだと思っていた。

東北は系列の会社の本拠地であり、知り合いが多い。
上司の判断で、今、連絡を取るのは迷惑だろうということで、社内に戻る。
そこで2度目の揺れ。先ほどよりは小さいが、かなり揺れた。
再度、外へ出る。ワンセグでTVを見ると、仙台で船が流されているとの事。
ただ、この時も海岸から近いところで氾濫したものなんだろうと思っていた。

ここで総務から「帰宅希望者は上司確認で帰宅してよい」という連絡が入り
電車が止まってはいるものの、ほとんどの人間が帰路についた。
外に出て周囲を見渡すと、多くの会社が同様の措置を取ったようだ。
皮肉にも、この早期判断が多くの帰宅困難者を生むことになる。

オレも「JRは夜中まで復旧しないだろう、私鉄なら・・・」と予想し
徒歩で新宿から甲州街道を私鉄ぞいに歩いた。
甲州街道は、かなりの行軍という光景だ。

携帯は繋がらない。

が、メールは微妙な時間差で、連絡が来るし、ネットは生きている。
これが本当にありがたかった。


歩いている途中、電気屋のTVに人が集まっているので立ち寄ってみた。

仙台の様子が映されている。
ハッキリ言って血の気が引いた。
氾濫と思っていた映像は津波であり、その被害の様子はあまりにも甚大だった。
真っ赤に燃える町と、押し流される町。
仙台の会社の人達の顔が浮かんでくる。


しかし、とりあえず帰宅することが先決だ。そう思った。
この時点で16:30。

道中で公衆電話に飛びつく人々が目に付く。
どうやら固定電話は生きている。
関東の被害は深刻ではない。問題は仙台・・・。

高井戸に着いたが、予想通り電車は動かない。
JRと私鉄のどちらが復旧するかわからないので

どちらも通っている吉祥寺まで行くことにした。
バスは運行しているので、バスに乗る。足は棒のようだ。

吉祥寺は燦燦たるものだった。
JRがシャッターを閉めている。本日の復旧を諦めたらしい。
後に明らかになるが、私鉄は帰宅困難者のために運転を再開させた。
JRは早期の撤退を決めた。
どちらにも事情があるだろうから、ここで両者の判断の賛否は問わない。


携帯のニュースでは首相が職場待機命令を出したとの事。
17:00過ぎのJRの運休決定発表と同時と考えれば、これは妥当な時間だ。
オレは少し早まったかもしれない。
会社を出る時点で事態の被害の甚大さを確認しきれなかった。
無事であったなら、状況把握を優先し、全てを確認してから行動に移す。これは今回の教訓だ。

吉祥寺では百貨店が閉店し、バス、タクシー、公衆電話が信じがたいほどの人の列。
おまけに人が多すぎるので、今まで繋がっていた携帯のネットも繋がらない。
Docomoはたしか1つのアンテナで3人までしかカバーしないので
人の多い地域を離れれば繋がると思った。これに関しては色々と英断だった。

わずか200m歩くとあれだけ並んでいる公衆電話はガラガラ。
ネットも繋がるようになった。
スマフォのGPSで地図を確認。JRがダメな以上、私鉄の駅で待機しよう。
それも人が密集しないような駅で。

バスが来た。客は3人。乗って良いものか悩むが、GPSでは間違いない。
吉祥寺と違い、二人しかいないバス待ちの人たちと相談して、乗ることにした。
ここにいても仕方ないからだ。
渋滞の為、わずかな距離に1時間もかかったが、座った状態で
携帯のニュースで現状を確認できたのは大きい。少し元気が戻った。

私鉄のローカル駅。店舗は営業している。
バスにいた人たちは、頑張れば歩ける距離らしい。
一人、府中という人もいたが、無理ではないだろう。

オレは・・・どうしよう。
避難所が解放されているというアナウンスがされた。
さすがにそこまで疲弊していないので、マックに寄って腹ごしらえ。
ここで暫く待機するのだが、こんなローカル駅でも店内はほぼ満席だ。
時折、誰かが「揺れてる」というと、誰もが手を止めて周囲を見渡す。
そんな緊張感に溢れていた。

21:00を回っても一向に進展が無い。
携帯で避難所の位置を確認しつつ、GPSで私鉄の駅沿いに歩くことを決意。
時折、携帯にメールが入る。時間差はあるが、知り合いの安否が確認できるのはうれしい。

1時間ほど歩いた頃か、さすがに革靴で歩くのも限界がある。
最寄の避難所で休んでみようかと思ったとき踏切が鳴った。

・・・ネットを調べる。地下鉄は数本、運転再開している。
私鉄が復旧した情報は載っていないが、次の駅に入ってみると
運転が再開しているようだ。

・・・助かった。
相当な混雑を予想していたが、それほどでもない。
車内では運転再開が遅れたお詫びが流れたが
こちらはむしろ感謝したいぐらいだ。

地元駅に着いたのは23:30。
駅は警官が配備されている。
バスに乗って帰宅。途中、コンビニに寄るが、弁当はほとんどなかった。

家に帰って、TVを見る。これが日付をまわったぐらいの時間。
とにかく津波の様子が繰り返し映されている。
しばらく寝付くことが出来ずにCSやネットを見る。
BBCやCNNでも日本のニュースしか流していない。
世界中で最優先のトップニュースである。

驚いたのが自宅の様子だ。
知人のメールでは家具が倒れたなどの連絡を受けていたので、
相当の覚悟をしていたのだが、
食器棚は朝のままだったし、唯一の被害が「重ねていたCDがずり落ちていた」だけだった。
築10年目の家だが、耐震対策がされていたらしい。

ネットでは早くも募金が開始されたようで、今日の出来事を思い
Yahooの募金にできる限り協力した。

自分もツライ思いをしたつもりだったが、他の地域の非ではない。

世界中の人たちが支援のメッセージを発していた。

欧州のサッカーは通常通り行われていたが、あらゆる国で黙祷が捧げれた。

am3:00、ここでも遅ればせながらリバプールの言葉を借りさせてもらった。

「You’ll never walk alone」
駅まで歩いていた時に、声をかけあった見知らぬ人たちを想って書いた。

日が明けて、今日、スーパーに行ってみた。
パンや水は無い。買占めではなく、店側が被災地に送ったようだ。
少し安心した。
それ以外の食料品は我が家の周辺では困窮した様子は無い。
自分は手を差し伸べられる側にいるらしい。

去年撮った花火の写真は宮城県で撮った写真である。
原発が爆発した福島には、友達が住んでいる。
阪神淡路大震災の時はガキだったので何もできなかったが

今は、何か出来ると思う。

本当の困難の時にその人間の真価が問われる。
「可愛そうだね」「大変だね」で終わらせたくない。
できることがあれば、してあげたい。